話せない先生になって
12月31日
平成最後の大晦日もあと数時間。
自分の事はほんのりとしかブログで書いてこなかった。
別に表立って発表する事でもないし。
というのは、どこかにある私のプライドのようなもので、実際は
こんな私が先生で良いのか
誰かに知られたら批判されるのではないか
という怖さから。
遡ること数ヶ月。
今年の4月に甲状腺を全摘する手術を受けました。
10年以上前に、亜全摘といって少し温存する手術は受けていたのですが、それがちょっとずつ、ちょっとずつ悪化して。
病巣は大きくなり、外見でも分かるほどに喉が腫れていました。
それを知っていたのに、見て見ぬ振り。
わかっていたけど、今手術で教室にアナを開けたくない。休みたくない。
と、とにかく教室から離れる事にとっても大きな不安と、恐怖を抱いていました。
それは、私にとっての居場所がココしかない。と思っていたから。
小さい頃から得意な事もなく(というより出来ない事ばかりだった)習い事で続いたのがピアノだった。くらいの感覚で高校を決める際に音高に行こうかな。なんて甘っちょろい考えを担任の先生に話し、夏期講習の情報を貰って参加したのが始まり。
そこで、世間の厳しさを知り撃沈するわけですが、、、あー世の中にはすっごく頑張って目指している子がこんなにもいるんだ。と思い知らされ1週間の講習、ずっと肩身が狭かったのを覚えています。
そんな私が再度音楽で将来を考えるようになったのが高校3年生。
芸大に進学し、恩師から生徒さんを任され、結婚し自分の教室を持っていまに至る。とすごく簡単な経歴ですが、とにかく音楽以外にやれる事がない私が先生と呼ばれれたくさんの子供たち、その家族の方が毎日教室へ足を運んでくれているこの状況を絶対に手放したくなかった。
休んだらすぐ、廃業。
というわけではないのはわかっているけれど、怖かった。みんなの事を信じていないわけではないのです。でも、私に出来るのはコレだから。
それを休んだら、私が私でなくなる。
自分の価値をこの教室という場においていたんですね。
そんな風に引っ張ってきた身体は限界になり、手術をする事に。
リスクは説明を受けなくてもわかっていた。
反回神経を傷つける可能性がある事。
そうなれば声はなくなってしまう。
それは、イコール先生としての私は存在しなくなる。
それでも受けるしかなかった手術。
目が覚めて、声を出して良いと言われるまでの時間は長くも短くも感じ待ち遠しくはなかった。
知るのが怖くて、良いと言われても出すのには時間が必要だった。
結果は表題にあるように
今までの声ではなかった。
失声はしていないので、声が出るか出ないかだけの話であれば『出る』に分けられる。
ただ、音楽家としての声ではない。
音量も質も『ない』に等しい。
何を話しているか聞き取るのはとても大変なくらいなんとも言い表しようがない声へと変わってしまった。
そのうち元に戻るかもしれない。
という先生のお言葉を信じ教室は少しお休みを頂いていましたが、目処が立たず。
再開するなんてとんでもない。という気持ちしか湧いてこず、ただただ休みを引き伸ばすだけの日々。
そんな中、とんでもない提案をしてきたのがウチのコーディネーター。
とにかく、みんなに会おう。
宿題も溜まっているだろうし、聞いてあげなくちゃ。
発表会の写真もDVDも渡さなくちゃ。
そこで私を知ってもらおう
しっかり聞かなければ聞き逃してしまうから生徒は集中して先生の言葉を聞く
逆手に取って、良いレッスンを心がけるこちらの意を伝えよう
と…
誰にも会いたくなかった、外にも出られない。話しかけられたら困ってしまうから。
外見でわからない障害を抱えるとはこういう事か。と強く強く感じていた私は、一番知られたくないみんなに会うのは本当に怖かった。
こんな先生のところには預けられない。と思うのは当たり前の事。
わかってはいるけれど、それを突き付けられるのは嫌だ。という自分勝手な思いだけで引き伸ばしていたけれど、みんなの事を思えば、早くに会っておくべきだった。
もし、本当に私のレッスンはもう受けられない。と思うのであれば他のお教室を探してあげなければ。
いつまでも私の気持ちだけで引き止めておくのは良くない。
そう気持ちの整理をして、みんなに会う日をセッティング。
小夜子先生に手伝ってもらって、保護者の方への説明、私はみんなの進捗を把握するべくレッスン室で待機。
来てくれるのか、来たらどんな反応になるのか。ドキドキの瞬間でした
いまに至っているので、そのドキドキも不安も恐怖も杞憂で終わるのですが、今現在も声は元どおりではなく。
正しくは
『うまく話せない先生』
となりました。
幸いにして、ピアノのレッスンは個人レッスンで密室。弾いていなければ、私の声は届きます。
聞き取りにくい場合はホワイトボードやメモを利用します。
弾いている最中に、褒めてあげたい、もっとやってほしい事を伝えたい。
声では無理なので、身体で表現します。
みんなが弾いている横で踊ったり身振り手振りをオーバーにして、『いいよ!』も『もっと!』も伝えます。
レスナーの方がこの記事を見れば、それでお月謝を頂くのか。と批判があるかもしれません。
私もそこは、本当に悩みに悩んだ部分です。
それでも、変わったのは声だけでレッスンの内容、質は変わらず今まで以上に!を自信を持って言えるようにさせて頂いています。
先生であっても病気になってしまう事。
障害を持った先生は有り得ないのか。
そうなった時、どうしていくのが良いのか。
それを考えさせられた一年でした。
同じ悩みを抱えている先生がいれば、少しでも力になれればと思い、そしてふんわりとしか状況を話して来なかったので、ブログの内容が制限されてしまい書きづらかった事もあり公開しました。
そんな一年であっても、新しい生徒さんとも出会え、コンクールに出場もさせ、東京に2回も行かせて頂き、本当に今まで以上な年を経験出来ました。
今の私を形容するのはとても複雑で難しいです
話せないわけではない
声が出ないわけではない
先生が出来ないわけではない
結果、出来ない事は何もなかったです。
考え方によりますが。
今までの私なら
うまく話せない
声が出にくい
レッスンが今まで通りではない
と負の考え方だったと思います。
それを長い時間かけて正してくれたのは、一緒に教室を盛り上げてくれているコーディネーターの小夜子先生。
なので、宣言する意味も込めてこの今年最後の今日。公開を決め、決意します!
今できる事を精一杯。
私らしく、私とみんなの教室を最高の教室へしていきます!!
2019年もよろしくお願い致します❁
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良いお年をお迎えください
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